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写真の子は恥ずかしがりやさんなので、これ以上出てきてくれません。


by rei_ayakawa
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己が非力さを痛感する瞬間

どうにもならないことがある。

世の中には、一個人の力ではどうにもならないことが非常に多い。そんな状況に直面して、自分の非力さに腹が立った経験は誰だってあることと思う。

たとえば、「最初はグー」なのである。「最初はパー」でも「最初はチョキ」でもなく、どうしようもなくこの世の真理として「最初はグー」なのである。ここで、普段日の目を見ないパーやチョキに配慮して「お前たちもグーにばかり出番を取られてて悔しいだろう。さあ、お行き」などと慈悲に満ちた思いで「最初はパー」とやると、「お前そんなせこい手を使ってまで勝ちたいの?」と対戦相手から冷ややかな目で見られることは間違いない。

違う、違うんだ。私はただ、仏の御心に従っただけなんだ。というと、今度は「え?何お前、変な宗教にでもはまったの?」などと見当違いの答えを返してくる。お前は本当にバカだな。そういう問題ではないだろう。それはそうと、このツボを買うと誰でも幸せになれるらしいよ。たったの30万円で幸せが手にはいるんだってさ。素晴らしいことだと思わないかい?

まぁ、確かに最初がグーだろうがパーだろうが、私たちの人生に全く影響は無いこともまた、どうしようもない真実ではある。ただ、だからといってこのあからさまな「パー・チョキ差別」を見過ごしておくことが正しいといえるのだろうか?人間は皆平等だ。それと同時に、ジャンケンの手もそれぞれが同等の力を持つことによって成り立っており、これもまた平等なのである!

しかし、「最初はグー」を「最初はパー」や「最初はチョキ」に変えたとしても、今度は選ばれなかった他の二つが被差別者になるだけであって、少しも状況は好転しない。「最初はグー、またまたグー、いかりや長介、頭はパー」を普及させればずいぶんマシになるが、これでもグーが他の手に比べて一個多くでているのが気になるし、なによりジャンケンの前にいつもこれをやるのは、著しく面倒くさいというのが悲しい現実だ。

ここまで考えて気がついた。別にジャンケンの手にこだわる必要は無いのだ。ジャンケンの前の掛け声だからといって、絶対にジャンケンの手を出さなければいけないというわけではない。くだらない固定観念に囚われていたようだ。

というわけで、「最初は瓦割り」というのはどうだろうか?これが普及すれば、ジャンケンにまつわる差別はこの世から綺麗さっぱり消滅する。ただ、普及までの道のりはかなり厳しそうだ。まず、第一に瓦を用意しなければならないのだ。ジャンケンをはじめる前にいちいち瓦を持ってくるのは少々手間が掛かりすぎではないか?第二に、その瓦を割らなければならないのだ。この案を実現するためには、「全人類総空手家計画」を実行することから始めなくてはならないだろう。

では、「最初はお友達から……」でどうだ。清く正しいお付き合いの王道パターンだ。だが人間、時には激情に駆られることもある。そんな悠長なことを言っていられないような場合も存在するだろう。そうしたケースにどう対応するかが最大の問題だ。「最初は結婚を前提に……」にするべきだろうか。ジャンケンなのにヘヴィすぎる。

だったら、「最初はジェット噴射で空を飛びつつ口からビーム放射」でどうだろう?

どうにもならない。
by rei_ayakawa | 2006-01-07 10:12 | 日々