写真の子は恥ずかしがりやさんなので、これ以上出てきてくれません。


by rei_ayakawa
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花粉症の乗り切り方

花粉症の季節到来。

私などは花粉症と全く縁が無い生活を送っているので、「春が来た!春が来た!どこにきた?そこにきたぁ!」などと無駄にハイテンションになっていたりするわけだが、世間の花粉症持ちの人たちは、さぞかし憂鬱な気持ちになっていることだと思う。そういう人もいることを考えると、浮かれまくっている自分がなにか悪いことをしているような気持ちになってしまう。

そこで、せめてもの罪滅ぼしのために、花粉症の皆さんの苦痛を少しでも和らげるための方策を考えてみようと思う。要するに、ものは考えようだと思うのだ。辛い、だるい、苦しいなどというネガティブイメージしか無い花粉症も、考えようによってはポジティブに捉えられるのではないか。そう、こういう時こそ、ポジティブシンキングの出番なのだ。

たとえば、花粉症の人はくしゃみがどかんどかん出てしまうことだと思うが、これを逆に利用することを考えてはどうか。空手などの格闘技を学んでいる人に聞くと、腹の底から大声を出すのは力強い打撃を放つために非常に重要なことだと聞く。つまり、こういうことだ。

「ふっ……貴様、花粉症に侵されたその体で、この俺を倒せるとでも思っているのか!」

「やってやるさ。くらえ、必殺の……ブワックション!」

「な、なにぃ!くしゃみをすることによって打撃の威力を増大させるとは!ぐわー」

そう、今こそ強敵との決闘に挑むべき時なのである。

さらに、花粉症の人は鼻水もだらだら出るだろうが、これも捉えようによっては有効利用できる。だって、水を買う必要が無いのだ。

さらに、花粉症の人は目がかゆくてしょぼしょぼしたりもすると思うが、これも考えようによっては、簡単に「ウミガメの産卵ごっこ」が出来るということだ。今までしたいけど機会がなかったという人は、この機会にぜひチャレンジしてみていただきたい。

さらに、花粉症の人は頭痛なんかにも悩まされてしまうだろうが、要するに状況としては常に二日酔いなのだ。ということは、常に前日飲み明かした気分になれるということではないか。しかも、お金が一切かからない。なんとリーズナブルなのか。これで納得できる人間がこの世にいるのか。

以上、ポジティブシンキングの限界というものを感じていただけたなら、幸いである。
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by rei_ayakawa | 2006-02-28 20:56 | 日々

隠されたモノ

私が電車に乗っていた時のことだ。

私の目の前に座っている若い女性。彼女は一冊の文庫本を読んでいるが、本には書店などでかけてもらえる紙のカバーがかかっており、何を読んでいるのかまでは分からない。

気になる。凄まじく気になる。この思いは、友達が「路線図が見えない」と言ったのを「ご先祖が見えない」に聞き間違えて、「いつも見えてるのかよっ」とツッコんでしまった時の赤っ恥感に全然似ていない。大体にして、この本のカバーと言うのはどういう意味があるのだろうか?

即座に考えられるのは、カバーをかけないと恥ずかしくて読めないような本を読んでいるということだ。つまり、ほら、ああいうのだ。わかるだろ?

しかし、目の前の女性が「ウルトラマン全百科」とかそういうのを読んでいるというのはどうにも信じがたい。別の理由があるのではないだろうか。

もしかしたら、彼女は極度のサディストなのかもしれない。こうしてカバーをかけることによって、「見たい?見たいでしょ?でも見せてあげない。うふふ」とほくそえんでいるのかもしれない。わたしがM属性なら「女王様!」とあがめてしまうかもしれないが、悲しいことに私もSだ。「なんて女だ!」としか思えない。

つまり、あのカバーはサディストご用達の品なのである。そんなものを全国の書店でかけてくれると言うことは、日本はもしかしたらサディストに支配されているのかもしれない。もはや政治や経済の舞台もサディストを中心に回り、マゾヒストは肩身の狭い思いをしているのだろう。「でも、それがいい」とか言っているのだろう。

という「サディストに日本は支配されている!」論を熱弁したら、「あれは本を汚したくないからかけてるんじゃないの?」と言われた。なるほど、そういう考え方もあったか。

でも、普通本には既にカバーがかかっているものなのだ。カバーの上にカバーをかけると言うのは、もとからあるカバーにとっては一種の冒涜なのではないだろうか。もはや、これはいじめだ。ひどいことするなぁ、みんな。

やっぱり、サディストか。
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by rei_ayakawa | 2006-02-27 17:32 | 日々

祈り

目の前には木の枝。
目に刺さってしまうかもしれない。
何も見えなくなってしまうかも。
十分に気をつけてくれ。

目の前にはヅラ。
落とし主が困っているかもしれない。
この際、被ってみるのはどうか?
どうか?じゃないよな。

目の前には激辛インドカレーの看板。
日本で作ったインドカレーをインドカレーと呼んでいいものだろうか?
ジャパンで作ったインドカレー……ジャンドカレー。
ジャンボカレーと似ている。

目の前には空を飛ぶおっさん。
なんだ、ヅラがなくても飛べるんじゃないか。

目の前には大仏。
穏やかな顔をしている。
「愚民どもよ、ひれ伏すがいい!」
実はそんなこと考えてんじゃないか。

目の前には石ころ。
ああ、我が息子よ……。
十分に気をつけてくれ。
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by rei_ayakawa | 2006-02-26 09:57 | 空想

猫対俺

我が家では3匹、猫を飼っているのである。

その内の一匹、本名を出すのもあれなので仮に「ボンドガール」としておくが、こいつは母や弟に甘やかされて育った所為か、どうにも生意気な性格に育ってしまったようで、しょっちゅう私に対して挑発的な態度をとってくる(この書き方だと96%の人間が誤解してしまいそうなので書いておくが、性的な意味ではない)。

たとえば、私が今日起きてきてリビングの椅子に座ろうとしたら、先客がいた。もちろん、そこにいたのはボンドガールだ。こういうのは本当に困る。猫の癖に猫としての立場をわきまえていないのはいかがなものか。貴様には貴様の寝床があるだろう。そこは人間様が座る場所だ。などと思いながらボンドガールを睨みつけるが、全く動じる気配はない。ハエも殺せないと恐れられる私に睨みつけられても動かないとは、相当の胆力の持ち主だ。その度胸は褒めてやってもいいが、そういう問題ではなくそこは私の席だ。

また、こんなこともあった。私がソファーに寝っ転がって、優雅に「うひゃひゃひゃひゃ」と声を立てながらTVを見ていたときのことだ。ソファーの背もたれをつたう黒い影。言わずと知れたボンドガールだ。ヤツはあろうことか、ソファーの背もたれの部分から、寝っ転がっている私の腹部めがけて決死のダイブを仕掛けたのである。プロレスなどでもここぞと言う時に使われる、肉を切らせて骨を絶つ高破壊力の攻撃だ。不意の衝撃が私を襲う。

しかし、ヤツの目論見は外れた。ボンドガールの体重では、私に致命的なダメージを与えることは出来なかったのだ。呆然とするボンドガール。残念だったな。そして、このような飼い主に対する反逆好意を許しておくわけにはいくまい。覚悟しろ。と思ったが、なにせ私は慈悲深い男だ。彼女の今回の行動は、自分の身を滅ぼしかねない捨て身の攻撃だったわけであり、ここはその勇気に免じて見逃してやるのもいいだろう。そんな風に思ってしまった。自分のことながら、本当に慈悲深い。よって、10分ほど追い掛け回した挙句に、座布団などを投擲しまくったあたりで許してやることにした。

まぁ、なんだかんだ言ってもこのように、私はボンドガールのことを生意気だと思いながらも、好敵手として認めている。おそらく、相手もそうだろう。考えようによっては、私たちの関係は結構良好なものなのではないかと思えるのである。つまり、考えようによっては、私はジェームズ・ボンドだ。考えようによっては、ショーン・コネリーだ。

本当に「考えようによっては」なのだが。
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by rei_ayakawa | 2006-02-24 21:45 | 日々
「負傷しても、バンソウコウは目立たないほうがいいんだ。お客さんからわかるようなのはダメだ。プロである以上、勝負の場に立ったら、ケガの事で同情されたくない。はっきり分かるような姿で出て行くのは失礼だからね」
「努力してますと練習を売り物にする選手は、プロフェッショナルとはいえない」
――長嶋茂雄

至言である。といっても、ちょっと考えてみれば当たり前のことだ。その道のプロである以上、当然結果を出すことが求められる。そして、結果をだせることがプロフェッショナルとしての誇りだ。それ以外の要素を評価基準に持ち出されるのは、むしろ好ましくない事態である。真のプロフェッショナルにとって、自分が努力している姿などは人に見られたくないものなのだ。

別にスポーツ選手じゃなくても、評価基準にして欲しくない事は存在する。例えば、プロの文筆家が「自分の作品についてあれこれ言うのはよくない」といわれているのも同じことだ。自分の思いを作品という形で世に送り出すのが作家の仕事であり、一度世に出てしまった作品をどう受け止めるかは、読み手の判断にゆだねられる。よって、重要なのは「読み手がどう受け取るか」であり「作者がどういう意図で書いたのか」ではない。

さらに言えば別にプロフェッショナルじゃなくても、評価基準にして欲しくないことは存在する。たとえば、

「化粧の途中の顔」

これを評価基準に入れられたらたまったものではないだろう。結果だけ見て欲しい。

「8月31日に大急ぎで夏休みの宿題を終わらせようとする姿」

結果的に間に合えばいいじゃないか。だからそんな目で私を見ないでくれ。

「ブログの文章を真剣に考えているときの私の顔」

確かにかっこいい。あまりにかっこよすぎて評価基準に入れたくなるのはわかる。ついつい「綾川さん……私と付き合ってください!」などといいたくなる気持ちもよくわかるが、どうか文章だけを見て評価して欲しい。







いや、あなたの気持ちもよく分かる。これはあくまで私の考えである。私は自分とは違う考え方の人間にも寛容なので、遠慮しないで自分の信じた道を進んでくれて構わない。







遠慮しないで迷わず自分の信じた道を全力疾走で駆け抜けてくれて構わない。
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by rei_ayakawa | 2006-02-22 20:57 | 日々
Q.昨日のおかずはなんでしたか?

「いや、そんなこと言ってる場合じゃないだろ!あのUFOが見えないのか!?」(25歳 フリーター 男性)

Q.今年のプロ野球についてどう思いますか?

「み、みんな焼き殺されていく……。もうだめだぁ!」(38歳 会社員 男性)

Q.日本語の乱れについてどう思いますか?

「子供が、私の子供が!どいてえ!」(28歳 主婦 女性)

Q.明日、世界が滅亡するとしたらなにをしますか?

「今、まさに滅亡しそうなんだよ!」(16歳 高校生 男性)

Q.今日のおかずは何にしますか?

「ギャー!」(61歳 無職 女性)

Q.ギャー。
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by rei_ayakawa | 2006-02-20 19:52 | 空想

心よ、盲目になるなかれ

ミカンが空を飛んだ。何を言っているのかわからない?大丈夫、私にも分からない。しかし、現実に目の前をミカンが浮遊しているんだから仕方ないだろう。

さらに悪いことに、うちのオカンまで飛んでいる。「ほら、ゆーちゃん、あたし飛んでるよ!」だそうだが、見れば分かる。何を嬉しそうにしているのだ。飛べたのがそんなに嬉しいのか。生まれ変わったら鳥になりたいとでも思っているのか。飛んで飛んで飛ばれて飛んでと行きたいのか。

気が付けば、部屋の全ての物体がいつの間にか浮遊していた。何故か、私だけ浮遊していない。ふざけるな。なんで私だけ飛べないのだ。私だって鳥に憧れた時期があった。今でも機会があったら飛んでみたいと思っているのに、何故私だけ飛べないのだ。理不尽だ。私は、鳥になりたい。そんなことを考えていたら、借金取りが家の扉を叩いた。

あいつらですらトリになれているのに、なんで私だけ……。
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by rei_ayakawa | 2006-02-18 13:05 | 空想

踊らされてはいけない

「目から鱗」はグロい。

冷静に考えて、目から鱗はグロい。これは否定のしようがない事実だ。私の目から鱗がボロボロ落ちてきたら、普通に発狂しかねない。想像するだけで身震いするエグさだ。この発想は完全に怪奇小説のそれである。

しかし、結構皆この言葉を、さほど抵抗もなく使っている。つまるところ、「目から鱗」=「新しい経験によって、考え方の幅が広がる」という比喩上の意味のほうに気をとられているということなのだろう。しかし、騙されてはいけない。これはおそらく、鱗屋さんの陰謀だ。

つまり、バレンタインデーと同じようなものなのだ。バレンタインデーに女性が男性にチョコレートを送るという風習が、火星人の陰謀によるものだという説を疑う人は、もはや日本には存在しないと思う。それと同じで、これも鱗の売り上げアップのために鱗屋さんが仕掛けた陰謀なのである。

この作戦による、鱗屋さんのメリットは計り知れない。鱗に纏わり付く「鱗ってグロい」というイメージを払拭することが出来るし、「目から鱗を落とせば賢くなれるのね!」と勘違いした人が、目に埋める鱗を求めて鱗屋さんに押しかけることも考えられる。

皆さんに注意しておきたいのは、このような卑劣な陰謀に踊らされることがないようにしてほしいということなのだ。本当に目から鱗を落としたところで、別に賢くなれるわけではない。というか、自分で埋め込んだ鱗を自分で落としても、埋め込む前に戻るだけだということくらいは分かるだろう。お前はバカを絵に描いたような奴だよ。

しかし、残念なことに鱗屋さんの陰謀に引っかかり、鱗を求めて明日なき暴走を続ける人間は後を絶たないであろう。どのくらいの暴走かというと、バーゲンセールに押しかけるおばちゃんの125倍くらいの暴走であろう。その凄まじい振動で地殻変動が起こり、地球はその形を変えるであろう。多分、弓なりになるであろう。それはアロー。君にハロー!

暴走しすぎた。
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by rei_ayakawa | 2006-02-16 17:59 | 日々

想像を超える事態

一回記事を載せた後に、修正することがよくある。

そもそも、このブログは私の日記というわけではない。例外はあるが、基本的にその日に起こったことなど書かないし、思いついて書いたらしばらく寝かしておき、幾度かの改訂作業を経た後に投稿することがほとんどだ。

だが、やはりページに載せてみると、それまで見えていなかったことが見えてしまったりするので、それがどうしても我慢なら無いときはこっそりと修正してしまう。他人から見ればどうでもいいような変更だろうが、書いた本人は致命的失態と思っていることが多いので、万が一気がついてしまった方は幻覚を見たと思ってスルーしていただきたい。

このように実際行動に起こしてみて、はじめて気がつくということは日常生活でもよくあることだ。行動に至るまでに様々なシミュレーションを繰り返しても、いざやってみると思わぬところから足をすくわれ冷や汗をかく、という状況は大抵の人が経験しているのではないだろうか。経験しているといってくれ。

例をあげて説明するとこんな感じだ。

☆1.カップラーメンを作ろうと思ったらお湯が足りなかった。

これだけ焦る状況もなかなか存在しないのでは無いだろうか。だって、お湯が足りないのだ。焦りすぎて「くそっ、俺はカップめんのできそこないじゃなく、完璧なカップめんが食べたいんだ。水を継ぎ足すか?いや、それはもっと悪いだろう。どうする、どうすればいい。ええい、もうこの際捨ててしまえ!」などというやけっぱちな思考に陥ってしまわないとも限らない。捨てる必要はなかったと、いまさらながらに思う。

☆2.風呂に入ったらシャンプーが切れていた。

でない。何度カシャカシャとノズルをおしても、思いっきり叩いてみても、蓋を開けて逆さにして振ってみても、でないものはでないのだ。もちろん、予備のシャンプーなんてものは無い。あったらここまで焦らない。そのくらいわかれ。石鹸で洗ってしまおうか。でも、髪がパサパサになるっていうしな。いったん出て買いにいってくるしかないか。風呂上りなのに、いきなり外出とは。

☆3.勢いで書きはじめたはいいものの、オチが思いつかなかった。

もう、仕方ないじゃないですか。こういう時だってありますよ。大体、話の全てにオチをつけようとする思考自体がおかしいんですよ。あなたたちだって、普段からオチをつけようとか思って無いでしょ?それに、ちゃんとこうしてオチがないことをオチにしてるんだからいいじゃないですか。こういう臨機応変さが大事なんですよ。不測の事態にうまく対応することが重要なんですよ。あれ、そう考えると私、結構凄いですよね?ちゃんと不測の事態に対応できてますよね?さすが私だ。やるじゃないか。

ポジティブシンキングっていいよね。
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by rei_ayakawa | 2006-02-14 20:42 | 日々

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by rei_ayakawa | 2006-02-12 21:25 | 空想