写真の子は恥ずかしがりやさんなので、これ以上出てきてくれません。


by rei_ayakawa
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雪原を駆ける金太郎

スキーにあまり興味が無い。

食わず嫌いな気もする。私の人生の中で、スキーにいったのは小学生の頃の一回だけだからだ。だが、それ以来少しも興味をもてないでいる。それがなぜなのかは私にも分からない。その時私は「スキーで滑りながらヘッドスライディング」という絶技を皆の前で披露し、絶賛の嵐に涙目になっていたはずなのだが。

このことから、私がスキーの才能に溢れた子供だったことについて異論を挟む人は誰一人いないだろう。では、なぜそれ以来スキーに行かなくなってしまったのか?まぁ、単純にそれほど楽しくなかったのだろう。人間、得意なことが好きなこととは限らないのだ。しかし、そう考えると少々惜しいことをしたかもしれない。あのままスキーを続けていれば、きっと今頃オリンピック代表に選ばれていたはずだ。

大体、スキーをするためにわざわざ遠出をしなくてはならないというのも、私の才能を開花させる妨げになっていたのではないだろうか。私が雪国で育っていたら、状況はもっと違っていたはずだ。

雪国育ちの私は日々、スキーを楽しむような子供になったに違いあるまい。見る見るうちにその才能を開花させ、世界水準の滑りを身につける。しかし、私はあるときコースからはずれ、山道に迷い込んでしまった。そこで襲い掛かる熊。投げ飛ばす私。「俺がこの山で最強の男だ!」その後、数々の格闘技大会に参加しては優勝をかっさらっていき、平成の金太郎と呼ばれるようになる。そのまま生ける伝説となり、私の名は永遠に人々の心に刻み込まれたのであった。

雪国育ちならよかったのに。
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by rei_ayakawa | 2006-01-15 05:18 | 日々
踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損。

私はこの言葉が好きだ。踊ろうが踊るまいが、宇宙的な視点で見ればみんなただの人間に変わりは無い。だったら、とりあえずみんな踊って楽しめばいいじゃないか。そんな底抜けのポジティブさに溢れていて、元気が湧いてくるのである。しかし先日、その認識に疑問を抱かせるような出来事があった。

その日は風は冷たかったがよく日差しが降り注いでいて、とても過ごしやすい日だった。それまでずっと続いていたぱっとしない天気に嫌気がさしていた私は、上機嫌で買い物へと出向いたのである。スーパーの駐車場へ車をつけ、そこから入り口へ向かって足取りも軽やかにすたたと駆けて行く私。

グキッ。

痛。

いや、痛。なにがって足が、足首が痛。捻った、なんてこった、こんなところで日ごろの運動不足のツケが回ってくるとは。その時、私の頭をふと例の言葉がかすめる。そうだ、運動をろくにしない人間が下手に踊りに加わったら、足を捻ってしまうかもしれないじゃないか。踊って損をすることだってあるのだ。

そもそも人の価値感とは多様なものであって、踊ることに何の楽しみも見出せない人もいるだろう。同じ阿呆だからといって、踊らなければ損とは限らない。つまり、この言葉はその人の持つ価値基準によっては「同じ阿呆なら踊れば損損」と言い換えて運用することも出来る。

まぁ、言葉とはそんなもの。重要なのはその言葉によって、自分の背中を押すことにある。どちらにしろポジティブさに溢れた言葉な事に変わりは無い。別に真実じゃなくたっていいのだ。

意味を反転させてもしっかり効果を発揮することの出来る言葉というものは、他にも色々ありそうだ。たとえば、

「為せば成る、為さねば成らぬ何事も」→「成れば為す、成らねば為さぬ何事も」

「とりあえずやってやれ!」という意味の言葉が、「勝算の無い戦いなんかしてたまるか」という決意の言葉に見事な変化を遂げた。人生において無駄な労力は絶対に使いたくは無い、という人にお勧めだ。

「目の中へ入れても痛くない」→「目の中へ入れたら痛い」

「結果のわかりきったことはするものではない」という喩えだ。目の中へ入れたら痛い。その程度のこともわからないのか。

「背に腹はかえられない」→「背に腹はかえられる」

なんだかよくわからんが凄い自信だ。
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by rei_ayakawa | 2006-01-13 14:28 | 日々

芋よ芋よも好きのうち

ジャガイモが好きだ。

愛しているといっても過言ではない。どのくらい愛しているかというと、マックに行ったときセットで頼まずポテトLを二個頼むことすらあるほどの溺愛ぶりである。もちろん、ばたじゃがもすきだしジャガイモグラタンもポテトチップスも好きだ。ジャガイモ料理は大抵いける。あらゆる食材の中でジャガイモが個人的ナンバー1なことは疑いようがない。

そんな私であるから、この際ジャガイモと結婚したらいいんじゃないかとも思えてくる。これだけ入れ込んでいるのだから、案外いい結婚生活を送れるのではないか。

「ジャガイモさん……僕はあなたが好きだ!結婚してくれ!」
「え……でも私なんかでいいの?私ジャガイモだから、ジャガイモ料理しか作れないんだよ?」
「そんなことかまうものか。ジャガイモおにぎりだろうがジャガイモの佃煮だろうがなんだってたいらげてやるさ」
「うれしい……」

こうして二人(?)は結婚したとしよう。しかし、私は確かにジャガイモが一番好きではあるが、甘いもの全般やパスタなんかも好きなので、そこで問題が起こるかもしれない。何しろ相手はジャガイモなのだ。ジャガイモ料理以外を食べるのは浮気になってしまうのではないだろうか。

「あなた!今日もチョコパフェを食べてきたのね?」
「え……えと、いきなり何言ってるんだい?」
「隠してもわかるわよ、あなたの服にチョコレートのあとがついてるもの。もうパフェは食べないって言ってたじゃない!」
「……」
「もう私たち、駄目なのかしらね……」
 
正に修羅場だ。このようなことにならないためにも、結婚したとなればジャガイモ料理以外は完全に絶つくらいの意気込みが必要だろう。しかし、そうなると毎食ジャガイモなのである。いくら私がジャガイモ好きだとはいえ、これは流石に飽きる。絶対飽きる。やはり食材との結婚は無理があるのか。

「すまん、ジャガイモ……。僕は君を愛し続けることができそうにない。もうここらで終わりにしよう」
「そうね……。考えてみれば最初からこうなることはわかっていたのに……私たちってバカよね」
「バカとはなんだこの野郎」

バカはこんなことを考えている私だ。
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by rei_ayakawa | 2006-01-11 18:02 | 日々

スパイ大爆発

「スパイ005が大爆発した」

テープに入っていた局長からのメッセージを聞いた私は、静かに考え込んだ。大爆発したのか。それは大変だな。休暇中の私に、緊急連絡が来るのも分かる気がする。だが、一つ気になることがある。大爆発したとは一体どういうことなのだろうか?

「いや、君が休暇中なのは分かってる。これもふがいない005が悪いんだと思ってくれ。せめて、大幕末してくれればよかったのにな」

ああ、そうだ。幕末は様々な英傑が、それぞれの志を胸に戦った時代だ。せめて大幕末なら、大爆発よりはマシだったかもしれない。だが、惜しむらくは意味が分からない。このおっさんはうまいことを言ったとでも思っているのだろうか?そんなことより、大爆発したとはどういうことなのか説明してくれ。

「さて、そこで彼の失敗を取り戻すために、君には悪いが仕事をお願いしたい。お願いといっても、断ったら当然クビだ。分かっているな」

それは分かっているが、大爆発とはなんなのか一向に分かっていない。休暇中とはいっても、私は優秀なエージェントだ。国家のためなら、全てを犠牲にして行動してみせる。具体的には、このおっさんの家族とかを犠牲にして行動することもできる。だが、それはそうとして、大爆発に関して説明する義務がおっさんにはあると思う。

「君が代わりに大オムレツしてきてくれ」

オムレツとはオムレツなのだろうか?卵料理のオムレツなのだろうか?大オムレツしてこいということは、でかいオムレツを作れということか?005は大オムレツを作るのに失敗して大爆発したとでも言うのか。いや、その場合、常識的に考えて「大オムレツを作れ」という言い回しになるだろう。「大オムレツしてこい」とか普通にありえない。

「それでは、健闘を祈る」

いや、そんなもん祈らなくていいから説明をしてくれ。いや、なにをって「全部」としか言いようが無いのだが、せめて任務の内容くらい、もっと詳細に説明してくれていいだろう。なんだよ、大オムレツって。大オゲレツの間違いじゃないのか?いや、それはそれで意味が分からない。思考が混乱している。どれもこれも、このおっさんがちゃんと説明責任を果たさないせいだ。

「なお、このメッセージは5秒後に大オムレツする」

するのか。
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by rei_ayakawa | 2006-01-09 17:45 | 空想
どうにもならないことがある。

世の中には、一個人の力ではどうにもならないことが非常に多い。そんな状況に直面して、自分の非力さに腹が立った経験は誰だってあることと思う。

たとえば、「最初はグー」なのである。「最初はパー」でも「最初はチョキ」でもなく、どうしようもなくこの世の真理として「最初はグー」なのである。ここで、普段日の目を見ないパーやチョキに配慮して「お前たちもグーにばかり出番を取られてて悔しいだろう。さあ、お行き」などと慈悲に満ちた思いで「最初はパー」とやると、「お前そんなせこい手を使ってまで勝ちたいの?」と対戦相手から冷ややかな目で見られることは間違いない。

違う、違うんだ。私はただ、仏の御心に従っただけなんだ。というと、今度は「え?何お前、変な宗教にでもはまったの?」などと見当違いの答えを返してくる。お前は本当にバカだな。そういう問題ではないだろう。それはそうと、このツボを買うと誰でも幸せになれるらしいよ。たったの30万円で幸せが手にはいるんだってさ。素晴らしいことだと思わないかい?

まぁ、確かに最初がグーだろうがパーだろうが、私たちの人生に全く影響は無いこともまた、どうしようもない真実ではある。ただ、だからといってこのあからさまな「パー・チョキ差別」を見過ごしておくことが正しいといえるのだろうか?人間は皆平等だ。それと同時に、ジャンケンの手もそれぞれが同等の力を持つことによって成り立っており、これもまた平等なのである!

しかし、「最初はグー」を「最初はパー」や「最初はチョキ」に変えたとしても、今度は選ばれなかった他の二つが被差別者になるだけであって、少しも状況は好転しない。「最初はグー、またまたグー、いかりや長介、頭はパー」を普及させればずいぶんマシになるが、これでもグーが他の手に比べて一個多くでているのが気になるし、なによりジャンケンの前にいつもこれをやるのは、著しく面倒くさいというのが悲しい現実だ。

ここまで考えて気がついた。別にジャンケンの手にこだわる必要は無いのだ。ジャンケンの前の掛け声だからといって、絶対にジャンケンの手を出さなければいけないというわけではない。くだらない固定観念に囚われていたようだ。

というわけで、「最初は瓦割り」というのはどうだろうか?これが普及すれば、ジャンケンにまつわる差別はこの世から綺麗さっぱり消滅する。ただ、普及までの道のりはかなり厳しそうだ。まず、第一に瓦を用意しなければならないのだ。ジャンケンをはじめる前にいちいち瓦を持ってくるのは少々手間が掛かりすぎではないか?第二に、その瓦を割らなければならないのだ。この案を実現するためには、「全人類総空手家計画」を実行することから始めなくてはならないだろう。

では、「最初はお友達から……」でどうだ。清く正しいお付き合いの王道パターンだ。だが人間、時には激情に駆られることもある。そんな悠長なことを言っていられないような場合も存在するだろう。そうしたケースにどう対応するかが最大の問題だ。「最初は結婚を前提に……」にするべきだろうか。ジャンケンなのにヘヴィすぎる。

だったら、「最初はジェット噴射で空を飛びつつ口からビーム放射」でどうだろう?

どうにもならない。
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by rei_ayakawa | 2006-01-07 10:12 | 日々

とっさの一言

「ああ、ロミオ……あなたはどうしてロミオなの?」
「深い意味はねえよ」
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by rei_ayakawa | 2006-01-05 17:26 | 空想
どうにも私はうっかり者らしい。

根本的なところでうっかりなのだ。うっちゃりではなくうっかりなのだ。うっちゃり者だったらどれだけよかったことかと、心底思う。きっと力士にも勝てる。

私のうっかりっぷりに関しては、前回の文章のコメント欄を見てもらえば分かっていただけると思う(ちなみに、ここのコメントでいっているのはこれのことだ)。基本的な性格はしっかり者タイプなはずなのに、妙なところでポカをやってしまうのである。被害に遭われた方には、申し訳ない気持ちで一杯だ。

何故、私はこんなにうっかりしているのだろうか。神は何故、私をうっかり者にしてしまったのだろうか。なにも、うっちゃり者にして欲しかったなどと贅沢は言わない。だが、せめて突っ張り者にして欲しかった。きっと横綱になれる。

こんなことばかり考えているから、うっかりしてしまうのだろうか?
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by rei_ayakawa | 2006-01-03 16:28 | 日々

年が明けた

あけましてなにがおめでたいというのか?

年が明けたといっても、年が明けただけなのである。別に可愛いあの子との甘い生活が始まるわけでもないし、この世から争いが無くなるわけでもない。相変わらず戦争は続くし、私はどうしようもなく一人身のままだ。年が明けたくらいの事でおめでたいおめでたいと言ってる、貴様らの頭がおめでたいわっ!

おっと、つい取り乱してしまった。よく考えてみれば、自分が理解できないからといって人を批判するなどというのは愚の骨頂である。この世の物事は基本的に「なるべくしてなっている」のであり、皆があれほどおめでたいおめでたい言っているのにも、当然何かしらの理由があるのだろう。では、なにがそんなにおめでたいのであろうか?

考えられるのは、私がよく耳にしている「あけましておめでとうございます」はなんらかの略語であるということだ。具体的には、

あけまして
お(けらだって)
め(だかだって)
で(めきんだって、みんなぼくらの)
と(もだちなんだ)
う(ちゅうはひとつで)
ございます!

といったところだろうか。確かに、年が明けても宇宙は一つだ。なんか壮大でいいではないか。この言葉は私たちに、忘れてはいけない何かを伝えてくれているのかもしれない。

そんなわけで、あけましておめでとうございます。今年もよろしく。
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by rei_ayakawa | 2006-01-01 00:12 | 日々