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写真の子は恥ずかしがりやさんなので、これ以上出てきてくれません。


by rei_ayakawa
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「同じ阿呆なら踊らにゃ損損」は真か?

踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損。

私はこの言葉が好きだ。踊ろうが踊るまいが、宇宙的な視点で見ればみんなただの人間に変わりは無い。だったら、とりあえずみんな踊って楽しめばいいじゃないか。そんな底抜けのポジティブさに溢れていて、元気が湧いてくるのである。しかし先日、その認識に疑問を抱かせるような出来事があった。

その日は風は冷たかったがよく日差しが降り注いでいて、とても過ごしやすい日だった。それまでずっと続いていたぱっとしない天気に嫌気がさしていた私は、上機嫌で買い物へと出向いたのである。スーパーの駐車場へ車をつけ、そこから入り口へ向かって足取りも軽やかにすたたと駆けて行く私。

グキッ。

痛。

いや、痛。なにがって足が、足首が痛。捻った、なんてこった、こんなところで日ごろの運動不足のツケが回ってくるとは。その時、私の頭をふと例の言葉がかすめる。そうだ、運動をろくにしない人間が下手に踊りに加わったら、足を捻ってしまうかもしれないじゃないか。踊って損をすることだってあるのだ。

そもそも人の価値感とは多様なものであって、踊ることに何の楽しみも見出せない人もいるだろう。同じ阿呆だからといって、踊らなければ損とは限らない。つまり、この言葉はその人の持つ価値基準によっては「同じ阿呆なら踊れば損損」と言い換えて運用することも出来る。

まぁ、言葉とはそんなもの。重要なのはその言葉によって、自分の背中を押すことにある。どちらにしろポジティブさに溢れた言葉な事に変わりは無い。別に真実じゃなくたっていいのだ。

意味を反転させてもしっかり効果を発揮することの出来る言葉というものは、他にも色々ありそうだ。たとえば、

「為せば成る、為さねば成らぬ何事も」→「成れば為す、成らねば為さぬ何事も」

「とりあえずやってやれ!」という意味の言葉が、「勝算の無い戦いなんかしてたまるか」という決意の言葉に見事な変化を遂げた。人生において無駄な労力は絶対に使いたくは無い、という人にお勧めだ。

「目の中へ入れても痛くない」→「目の中へ入れたら痛い」

「結果のわかりきったことはするものではない」という喩えだ。目の中へ入れたら痛い。その程度のこともわからないのか。

「背に腹はかえられない」→「背に腹はかえられる」

なんだかよくわからんが凄い自信だ。
by rei_ayakawa | 2006-01-13 14:28 | 日々