イジメはかっこ悪いよね
2006年 03月 16日
ナスが食えん。
いや、本当にダメなのだ。確かに、成長するにしたがって好き嫌いはなくなってきた。しかし、ナスだけはダメだ。どうにも、あの食感が私の脳髄を刺激し、遥かなるユートピアに連れ去ってしまいそうになるのだ。
そんなわけで、蛇蝎のようにナスを嫌っている私だが、考えてみればナスは何も悪いことはしていない。目の前に出されただけで露骨に嫌な顔をされたら、ナスくんだって悲しい気持ちになるだろう。挙句の果てにすぐさま皿の端に除けて、他のものをパクパク食べる私を見ながら、ナスくんは一体どう思うだろうか。
これは要するにシカトだ。一種のイジメである。イジメはかっこわるい。だが、私はかっこいい。しかし、私はナスくんをシカトしている。そう、ここに重大な矛盾が生じてしまったのである。これでは、私がかっこいいのかかっこわるいのかよくわからない、漠然とした状況になってしまう。たとえて言うなら、食パンとご飯とピザを同時に食卓に並べられるくらい漠然とした状況になってしまう。どれを主食にしろというのか。
普通に考えれば、根本的な前提条件が間違っているのだろう。食卓に食パンとご飯とピザを同時に並べてはいけないのだ。よって、この場合は「イジメがかっこわるい」か「私がかっこいい」のどちらかが間違っているということになる。しかし、イジメは間違いなくかっこわるいし、私のかっこよさと来たら、鏡まで照れて私の真実の姿を映せなくなってしまうくらいなのだ。おかげで私は一回も自分の真の姿を見たことが無い(あるはずがない)が、大丈夫、君の気持ちは分かっているよ。
そうか、わかった。発想の転換だ。食パンとご飯とピザをまぜて一つの料理にしてしまえばいいのだ。つまり、「イジメがかっこわるい」と「私がかっこいい」をミックスしてしまえばいいのである。
イジメがかっこわるい+私がかっこいい=私イジメがかっこわいい
=私イジメがかっこはいい
よくねえ。
いや、本当にダメなのだ。確かに、成長するにしたがって好き嫌いはなくなってきた。しかし、ナスだけはダメだ。どうにも、あの食感が私の脳髄を刺激し、遥かなるユートピアに連れ去ってしまいそうになるのだ。
そんなわけで、蛇蝎のようにナスを嫌っている私だが、考えてみればナスは何も悪いことはしていない。目の前に出されただけで露骨に嫌な顔をされたら、ナスくんだって悲しい気持ちになるだろう。挙句の果てにすぐさま皿の端に除けて、他のものをパクパク食べる私を見ながら、ナスくんは一体どう思うだろうか。
これは要するにシカトだ。一種のイジメである。イジメはかっこわるい。だが、私はかっこいい。しかし、私はナスくんをシカトしている。そう、ここに重大な矛盾が生じてしまったのである。これでは、私がかっこいいのかかっこわるいのかよくわからない、漠然とした状況になってしまう。たとえて言うなら、食パンとご飯とピザを同時に食卓に並べられるくらい漠然とした状況になってしまう。どれを主食にしろというのか。
普通に考えれば、根本的な前提条件が間違っているのだろう。食卓に食パンとご飯とピザを同時に並べてはいけないのだ。よって、この場合は「イジメがかっこわるい」か「私がかっこいい」のどちらかが間違っているということになる。しかし、イジメは間違いなくかっこわるいし、私のかっこよさと来たら、鏡まで照れて私の真実の姿を映せなくなってしまうくらいなのだ。おかげで私は一回も自分の真の姿を見たことが無い(あるはずがない)が、大丈夫、君の気持ちは分かっているよ。
そうか、わかった。発想の転換だ。食パンとご飯とピザをまぜて一つの料理にしてしまえばいいのだ。つまり、「イジメがかっこわるい」と「私がかっこいい」をミックスしてしまえばいいのである。
イジメがかっこわるい+私がかっこいい=私イジメがかっこわいい
=私イジメがかっこはいい
よくねえ。
by rei_ayakawa
| 2006-03-16 16:50
| 日々